ブログblog
なめたらあかん。
2021/09/04

VC3000のど飴のCMではありません。
山を、日本一を
なめたらあかん。
そう痛感した 令和3年8月末でした。
私こと堀金、「日本人なら一度は」という思いに駆られ
とうとう実践して参りました、富士登山。
トップ画像は頂上のご来光を背に自撮りしている姿を撮られた一枚。
おのれ、友人。ありがとう。
まともな山登りは初めてだったので
装備も、プランも、何もかも同行の友人にお任せ。
しかし、これが、よくなかったね。
もっと自分でも、ちゃんと色々調べておくべきだったw
イメージを持っておくというか!
登山自体はとっっってもいい経験になりました!
いわゆる【弾丸登山】をしてしまった、というのが大反省です。
もう若くない。本当に。痛感も痛感。
いくつかある登山口のうち、吉田口という比較的登りやすいルートで行ったのですが
五合目の登山ルート入口(五合目までは車で行くのが一般的)にも看板で書いてある。
弾丸登山はやめましょう、って。
帰りに看板見て気づいた。
「あ、俺がやったのがまさに弾丸登山や…」って。
夕方17:00のシャトルバスで五合目まで移動して(夏はマイカー規制があった。これも予定外ww)
軽く夕飯を食べて、28日18:30から登山開始!
途中休憩をはさみながら、這々の体で登頂!
このときAM5:00を少し回ったところ!
奇跡的にご来光には間に合いました。
綺麗だった。それはもう、本当に。
しかしだね、約10h登りづめだったわけですよ。
普通は、八合目とか本八合目で山小屋を予約しておいて、休憩をとって万全を期して、頂上を目指す。
これが正しい富士登山みたいです。
ちなみに、八合目から頑張って頑張って、「そろそろ九合目か!?」って思って着いたら「本八合目」って書いてあった時は
闇にむかってキレました。
もうね、この段階で脚ガクガクでw
しかも、京都もびっくりってくらい外国の方が多いのなんの。
日本語聞こえてくるのが、稀www
ツアーみたいなやつのインストラクターさんぐらいだったな、日本語話してるの。
そんなこんなで頂上間近に。
多国籍大渋滞な岩道。
地上3500mを越えたら密は気にされないのでしょうか。
まぁ、ただでさえ酸素薄くて高山病しんどいのにマスクとかしてたら危ないのだろうけど。
空が白んできてしまったので「あー、もう間に合わないかな」とか思ったんですけど
意外に太陽は登らない。
まだだ!まだ陽は上らぬ!
気分は「逆メロス」。
間に合わせたい、と思ったら不思議とアドレナリンがどばどばでたのか
追い抜き追い越せのスピードラストスパート。
無事、頂上でトップ画像の撮影が叶いました。
…で、地獄の始まりはそこからでしたw
同行した我が友の予定では、頂上で2hくらい休憩してから、下山する予定だったのね。
しかし、頂上、酷寒。
防寒はしっかりしていったつもりだったんだけど
手加減なしの地上3700m overの強風
寒すぎる。
持っていった豚汁がみるみるうちに冷たくなる。
休憩所は事前予約がないと使えないし
このままでは豚汁と同じ運命をたどる気がした我らは
登頂完了からわずか30分ほどで下山を開始。
我が友はいいました。
「帰りは早いよ、3hくらい」
これも、今となってはなぜ疑問に思わなかったのか…w
行きで10hかかってるものが3hで帰れるものか、とw
ガックガクのプルップルな脚を引きずって
断続的な休憩をしつつ、情けない呻き声をあげながら下山すること5h
眼科に広がるは美しき雲海
照りつける日光
晴れ渡る青空
感覚のない我が両脚
左足のブーツはソールが剥がれてぶらぶら
右足のブーツはソールが千切れて底に穴があかんばかり
軽快に砂利道を滑り降りていく他の登山者たち
途中、お金を払うことでお馬さんに乗って五合目まで帰れる誘惑に抗ったのは
自分で自分を褒めてあげたい。
29日AM11:00に、スタート地点の五合目に帰り着きました。
そのときに、行きでも見た看板をもう一度見ました。
「弾丸登山はやめましょう」って書いてありました。
長男だったから耐えられた。
次男だったら耐えられなかった。
(あ、全ての次男を敵に回す発言ではありません。一度いってみたかった流行りものなんです。)
¥900で買った登山杖(木を削って作られてる)を陽気につきながらスタートした前夜が遠い昔のことのようでした。
「いるかな?いらないかな?修学旅行の木刀みたいなもんだよね、これ」
とかバカにしてすみませんでした…!!!!
完全にあの杖に命を救われることになりました。
大事に飾ってあります。
下山後も三日は下半身がまともに動きませんでしたw
しかし前述の通り、学ぶことはありました。
「限界を超えて動き続けた」のはいつぶりだろうか、と。
必要がないですからね。
疲れたら休みます。
疲れていても、脚が痛くても、感覚がなくても
ひきずるようにしてでも前に進まないと、おうちに帰れないんですw
自分の足で、目的地に向かって
自分の足で、帰ってくる。
言葉にすればただそれだけかもしれませんが
これが、僕の初めての富士登山でした。
実は一つ、オチがついています。
中2国語の教科書に掲載されている、徒然草の「仁和寺にある法師」という話をご存知でしょうか。
積年の願いが叶って、石清水八幡宮を一人で参拝した法師が
山の麓の極楽寺、高良などを拝んで、それで全てだと思いこみ
本尊を参拝することなく帰ってきてしまったという話です。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり、という兼好法師のセリフで締まるのですが
堀金、「リアル仁和寺にある法師」でした。若干。
ご来光見て満足して、豚汁の冷え具合に肝まで冷やした結果、即下山を始めてしまいました。
下山後、SNSで聞かれて初めて知ったのです。
「剣ヶ峰には行けましたか」と。
KENGAMINE??
調べると、こうありました。
「富士山のもっとも高い標高3776mの場所」
………嘘だろ?
…え?あんなに苦労して?
3776m登りきれてなかったの?
3760mくらいで帰ってきちゃってたの?
言ってしまうとここが一番の後悔ポイントw
確かにあった…なんか人が登ってるところ!
でも「寒そう」とか思って行かなかった…!!!!
下山したタイミングでは「2度目はいいかなぁ…」と
森末先生も言ってたし、俺も同意だなぁ、とか思っていたのですが
…再戦の理由ができてしまいました。
いつかきっと、体力が衰えて諦める前に!
再びあの頂を目指すことでしょう。
今度は借りものの装備ではなく、自前の装備で。
弾丸ではなく、山小屋を予約して。
あ、最後に 何枚か写真を載せておきます。
それでは、また次回の更新で!