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終わり良ければ全て良し
2019/12/28

こんにちは、宮川です。
今日は12月の28日ということで、
あっという間に2019年最後の授業の日になりました。
ということで今日は最後にまつわるお話をしてみようと思います。
子供の頃って、納得いかない表現がたくさんありましたよね。
たとえば「二度あることは三度ある」と「三度目の正直」とかでしょうか。
2回続けて失敗したあとに「三度目の正直!」とか言われてやったら
また失敗して、そしたら「二度あることは三度あるっていうからね」とか言われて
なんじゃそりゃ!?って思ってました。
結局はその時その時で都合のいい方を使うだけなんだなと。
そんな中で、「インチキくさい」と感じていた言葉の最たるものがこれでした。
「終わり良ければ全て良し」
マジで!?終わりさえ良ければ全てOKなの!?嘘でしょ?
いやさ、それが許されるんなら最後だけちゃんとすればいいじゃん!
何それ!?
ってな感じでした。
もちろん大人になった今、この言葉はそんな意味じゃないって事くらいは分かります。
最後が良いものになれば、その途中の失敗も含めて「良かったこと、必要だったこと」になる。
一般的にはそういう感じでしょうか。
だけどこれも自分的にはいまいち納得いかないんですよね。
だって「結果が全て」だとか「結果が良ければ途中は何したっていい」とか、
あるいは「結果が出なければ意味がない」とも取れちゃいますから。
もちろんそれって一面では正しいかもしれません。
だけどやっぱり少々乱暴な意見になっちゃうように思います。
で、自分なりの「納得解」がこれです。
たとえば1年間の過ごし方、途中が全然ダメダメで、最後だけ良くなったら全ていいの?
いやいや、それはダメでしょ。
「その年は」ダメダメだった…この過去は残念ながらゼッタイに変えられません。
だけど、未来は変えられます。
そして何かの「終わり」は「次のはじまり」でもあります。
「終わり」が良ければ「次」はいい状態からスタートができる。
そしてそれを続けることができれば、ここからの未来は「全て今よりも良いもの」に変えられます。
だから「終わり良ければ全て良し」なのかなと。
まぁ色々ツッコミどころはあるかもしれませんが、こういう解釈もアリなんじゃないかなと思います。
2019年も残り数日ですが、この残りの日々を意識して「良い日、ガンバれた日」にできれば、
2020年はすばらしいスタートになることでしょう。
ということで、今年も色々とありがとうございました。
皆様、良いお年を~